これからすこしずつ、読んだ本のメモをここに書いていこうと思う。
荒井裕樹さんの『まとまらない言葉を生きる』を、すこしずつ読んでいる。前々から気になっていたのだけれど、本を開くことすらしんどい時期が続いていたので、今ごろになってしまった。
「言葉が壊れている」。そんな問題提起から、この本ははじまる。
まえがきの歯切れはすこぶる悪い。「このやり切れない思いを分かち合いたい」という一節から、荒井さんの迷い、怒り、心の奥底で感じている違和感、言葉にできない感情が伝わってくる。
それでも言語化しなくてはならない、という使命感と共に、文章が一章ずつ、慎重につむがれる。
「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、そういうことだ。
SNSにあふれる心ない言葉たち、社会的に影響力をもつ人たちの言葉の「質」の軽さ。
荒井さんのまえがきを読んで、「言葉が壊れている」とは、そういうベクトルのことか。と、わたしは自分なりに納得することができた。
「わかります」と、簡単にいうつもりはない。まだすべての章を読み終えたわけでもないから。
ただ、わたし自身も昨年、どうにも説明ができない気持ち悪さ、違和感に耐えられなくなって、インフラに近い状態で利用していたSNSをいくつかやめている。
四方八方から無造作に投げられ、インターネット空間を飛び交い、あちこちで都合よく切り取られたり、勝手に解釈されたりしながらひとり歩きする言葉を浴びることが嫌になった。
「失ってはならない言葉の尊厳」とは、何だろう。
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