#605 長い付き合い【三日坊主とひとりごと】

「命を削ってる」とか「命かけてやってる」と、簡単にいわれるのが嫌いだ。すこぶる嫌いだ。それが相手の口から出た瞬間に、一気に冷めてしまう。「ああそう、あなたの命はそんなに軽いんですか」、と。ひねくれてんな。

ただの例えであることはわかっている。「真剣である」といいたいだけであることも、よーく理解している。

でも、世の中には、本当に命を削って燃やすように活動している人がいるわけだ。自分自身をすり減らすように、身を何かに捧げるように生きて、本当に一瞬で燃え尽きるように人生を終えてしまった人たちが。

だからこそ、そんなに安易に使ってくれるな。と思ってしまうのは、果たして過剰な反応なのか。わたしが敏感なだけなのか。

少なくともわたしは、命を削るような生き方はしたくないし、それができるほどの意思も使命感も持ち合わせていない。だから今後もおそらく、自分自身にその言葉を使うことはないだろう。

言葉を扱う仕事をしているからか、ときどき、どうしても細かい言い回しが気になってしまうことがある。

人によっては面倒くせぇと思われるかもしれないが、言葉の機微に鈍感になってしまったら最後、この仕事を続けることなんてできないだろう。

意図して身につけた力ではないけれど、なんというか、最近は宿命のように感じている。言葉や文章への執着が、できること・できないことをはっきり突きつけてくる。

捨てられないのなら、一生付き合うしかない。