フリーライターだった頃、「一発で“正解”を出さないと生き残れない」と思っていた。
求められるクオリティ通り、もしくはその期待を超えるアウトプットを出すこと。取材相手の意をきちんと汲むこと。発注者の手をわずらわせないこと。そのまま表に出ても、恥ずかしくない原稿を納品すること。
「とりあえず叩きでいい」「8割できていれば」などといわれることもあったけれど、「8割の完成度」といわれるアウトプットがどのレベルのものなのか、わからなかった。正直なところ、いまもよくわからない。
(駆け出しの頃、表記統一が漏れていたとか、ちょっとでも詰めきれていないところが残ったままの原稿に「本当にプロなんですか?」とクレームを受けた苦い経験が何度かあるから、というのも大きいかもしれない)
ただ、“正解”を追求する仕事の仕方は、半分は合っていたけれど、もう半分はまちがっていたのだと思う。
仕事がうまくいっているときは、仕事が仕事を呼んでくれた。当然ながら、主にクオリティ面での信頼が厚くなるからだ。
ただ、思わぬところに落とし穴がひそんでいたことに、わたしは気がつかなかった。
“正解”は、当然ながら人によって基準が違う。何度か続けてつまづくと、途端に自分がどんどん追い詰められていった。そして、さらにクオリティを追求しはじめる。負のスパイラルのはじまり。
今また、そうなりかけていたなぁと、反省したので書いておく。備忘録として。