気まぐれにふと、むかし教えてもらった肩まわりのストレッチを久しぶりにやってみたら、肩甲骨の可動域がびっくりするくらい狭くなっていておののいた。
ジムにお金をはらってみても、簡単にできるストレッチを教えてもらっても、身体を動かす系の習慣は生まれてこのかた、身についたことがない。
とはいえ、難なくできていたことがいつの間にかできなくなっていると、焦る。さすがに慌てて、これまた気まぐれにときどきやっていたラジオ体操を、第一だけじゃなくて第二までやってみたり。(続くかどうかはわからないけれど)
気がつくと、活字を読むとか、手先の細かい作業とか、猫背と近眼がより進むようなことばかりやってしまう。
ひとり暮らしで気ままなぶん、生活はちょっとしたことですぐに荒れ、それにあっという間に慣れていく。
ちょっと気分がのらない。ちょっと休みたい。ちょっとめんどうくさい。ちょっと落ち込んでいる。ちょっと疲れた……。
そんな感覚にしたがって生きられることを、「自由でいいね」と思う人もいるだろう。でも自由を謳歌しているなかで、わたしはじわじわと、確実になにかを失っているのだと思う。
この感覚は、30代も後半にさしかかった今になって、ようやく抱いた危機感だ。
だからといって今さら、この生活を変えたいとはなかなか思えない。自由と“何か”は、トレードオフだと思っているから。すべて手に入れようなんて、たぶん、虫がよすぎる話なのだ。