「圧倒的に美しいなにかが見たい! 見たい! いますぐにだ!」
なぜか久しぶりにそんな衝動にかられてしまい、平日の真昼間から映画館を訪れた。
“圧倒されたい”のだから本音をいえば壮大な自然と対面したいところだったけれど、さすがに山積みの仕事を放ったらかして旅に出る度胸はなく、前からずっと気になっていたアニメ作品『海獣の子供』を見ることにしたのだった。
まだ原作は読んだことがない。前評判もどうでもよかった。何かに圧倒されたかった。それが映像体験でも。
わたしは山に近い街で育ったので、海よりも山や川の方が安心する。海もキライなわけではないが、海の近くにいくと、いつもどこか不安になる。
スクリーンでシロナガスクジラや、魚たちや、深海生物が躍動するたびに、その不安感はどんどん増幅していった。
女の子のふつうの夏休みからはじまったものがたり。想像もしていなかった展開の連続。
目の前に広がっていた海の世界は、いつの間にか宇宙と混ざり合って、人間の身体の中にもどっていた。
いまわたしが見たものはなんだったんだろう。
映画館を出て、エスカレーターを降り、まだまだ明るい渋谷の街に立ったとき、わたしはよくわからない、所在なさげな気持ちになっていた。
衝動は少し、おさまっていた。
圧倒的な画力と、海や宇宙や生命のよくわからない何かと、ラストに流れた音楽と。
何かを「見た」というより、「感じた」と表現した方が正確なのかもしれない。