3.11のこと。わたしの家族も友人知人も、みんな無事だった。特別に語るほどの経験はしていない。ただ息をのんで、安全な場所で、TVの向こうの景色を眺めていただけだった。
あれから、一人暮らしのアパートにものが少しだけ増えた。避難用の大きなリュックサックを買った。カセットコンロとガス缶の予備も買った。一応、ミネラルウォーターは1ダースくらい買い置きするようになった。
水を定期的にカクヤスで注文しながら、いつか、このささやかな備えが必要になるときがくるのだろうか、とぼんやり考える。どんなに備えても、やはり実感はまったく伴わない。
震災後、1回だけ、宮城県南三陸町の企業をいくつも取材して回る仕事をいただいたことがあった。
6年ほどの時間がたっていたけれど、どんな顔で取材したらいいのか、行く前から緊張で吐きそうだった。
取材を受けてくださった方のおかげで、仕事はつつがなく進行した。
笑顔で対応してくださるみなさんに話を聞いていくうちに緊張はほぐれていったが、わたしの背中には、別の意味で冷たい汗がにじんでいった。
行く場所、行く場所が、まっさらで新しい、ピカピカの建物ばかりだったからだ。
老舗の企業も、工場も、事務所も、飲食店も、町に立つ看板も、すべて。
街中を移動し、それを実感するたびに、叫び出したい気持ちをぐっとおさえた。この町は確かに、何もかもを失ったことがあるのだと。
ただ、その爪痕だけがリアルだった。