わたしは、器用貧乏である。なかなかどうして。そのことを、久しぶりに思い出している。
割とそつなく、ひろーく浅ーく、カバーできてしまう。そつなくこなせるが故に、穴を見つけるとフォローしたくなる。結果、さらにひろーーーく浅ーーーくなってゆく。以下、無限スパイラル。
ライターを名乗っていた5年間は、そう思うとよかった。いままでの人生でいちばん、やること、やるべきことをぐっと絞って注力できていた気がする。
自分でも守備範囲を明確に認識していたし、周りから抱かれるイメージとも合致していた、と思う。いま振り返ってみれば。
あれは独立直後、30歳の誕生日を目前に控えて、泣きそうになりながら必死でどうにかひねり出した、(わたしにとっては)渾身の「守備範囲」だった。
最近、5年ぶりに環境が変化した中で、期待値や認識のギャップ、コミュニケーションのすれ違い、アウェーでの商談、その他もろもろ、なかなかしびれる状況が続いている。
でもかつてほどの悲壮感を感じることは、なくなった。まがりなりにも、一度は乗り越えてきたのだから。そしてなんとか5年間、走りきったから。
過去の自分にふるいたたされ、経営の先輩たちが語る言葉にはげまされては、万年器用貧乏は今日もどうにか生きている。
性格はもはや治らないと思うけれど、「5年間ここに集中する」と決めることはできる。それは単に、わたしの意志の問題だ。そろそろまた、その時がきたのかもな。