#415 悔しさか、うらやましさか【三日坊主とひとりごと】

わたしは20代の頃、仕事を「楽しい」と思ったことがほとんどなかった。

そもそも「仕事は楽しむものである(楽しくやっていい)」という概念が、自分の中に1ミリもなかった。

働くのは義務であり、この社会で生きていくための手段。別に悲観的でも自虐的にでもなく、ただ、ごくふつうにそう思っていた。

まあ、そんな話はどうでもいい。でも、そのついでにもうひとつ、思い出したことがある。

当時、楽しいと感じることがなかったのと同じように、「悔しい」と思うことも、そういえばほとんどなかった。

そのころ、自分の心の奥底にうずまいていたものといえば、いろんな種類の「羨み」だった。

輝いてる人の活躍がうらやましい。いい仕事ができる環境がうらやましい。実績が評価され、みんなに認められてる人がうらやましい。実力や才能がある人がうらやましい。

できないことは今より圧倒的にたくさんあったし、毎日、思うようにいかないことだらけ。

でも、あの頃のわたしを支配していたのは、「悔しい」より「うらやましい」という気持ちだった。

自分には、ほこれるものが何にもなかった。いつも狭い世界で、まわりに見える青い芝生をうらやんでいた。

いま、あの頃のどから手が出るほどほしかったもののいくつかを、わたしは手にしていると思う。

うらやましい、は、いつしか「悔しい」に置き換わるようになった。

人間の欲が果てしないのか、ちょっとは自分が成長したのか、よくわからない。