わたしは20代の頃、仕事を「楽しい」と思ったことがほとんどなかった。
そもそも「仕事は楽しむものである(楽しくやっていい)」という概念が、自分の中に1ミリもなかった。
働くのは義務であり、この社会で生きていくための手段。別に悲観的でも自虐的にでもなく、ただ、ごくふつうにそう思っていた。
まあ、そんな話はどうでもいい。でも、そのついでにもうひとつ、思い出したことがある。
当時、楽しいと感じることがなかったのと同じように、「悔しい」と思うことも、そういえばほとんどなかった。
そのころ、自分の心の奥底にうずまいていたものといえば、いろんな種類の「羨み」だった。
輝いてる人の活躍がうらやましい。いい仕事ができる環境がうらやましい。実績が評価され、みんなに認められてる人がうらやましい。実力や才能がある人がうらやましい。
できないことは今より圧倒的にたくさんあったし、毎日、思うようにいかないことだらけ。
でも、あの頃のわたしを支配していたのは、「悔しい」より「うらやましい」という気持ちだった。
自分には、ほこれるものが何にもなかった。いつも狭い世界で、まわりに見える青い芝生をうらやんでいた。
いま、あの頃のどから手が出るほどほしかったもののいくつかを、わたしは手にしていると思う。
うらやましい、は、いつしか「悔しい」に置き換わるようになった。
人間の欲が果てしないのか、ちょっとは自分が成長したのか、よくわからない。