#405 “好き”の理由がつまらない【三日坊主とひとりごと】

歴史の流れというのは確かにあって、いま目の前で起きていることには、過去に必ずルーツや原因がある。基本的には、そう考えてきた。

だから取材の場では、事象に対して「それはなぜか?」をどんどん深掘りして、その原点を探る。だいたいの場合は、なにかしらのきっかけや背景、本人の心象風景なんかにたどり着いて、点と点が細い線につながる瞬間を体感したりするわけだけど。

「基本的には」と書いたのは、最近、必ずしもそれが当たり前だと思い過ぎないようにしよう……と思うことが増えたから。

「やりたくなったから、はじめた」「気が乗らなくなって、やめた」
「なんとなく、好き」「どうしても、キライ」

その素直な気持ちの背後に、必ずしも論理的な説明が必要かというと、そんなことはないよね。いいじゃん、別にそれでも。第六感だってバカにできない。

仕事じゃなかなかそうはいかないから「なぜ?」「どうして?」を論理的に問い続ける日々だけど、“非連続のジャンプ”を、もっと面白がれる余白を残しておきたい。

わたしは小学生くらいの頃からミステリー小説が好きなのだけど、大人になってからその理由を、「ミステリーは必ず最後に解決して終わるから、読後感がノンストレス」なんてバカ真面目に答えるようになっていた。

我ながら、信じられないほどつまらない回答である。

「面白いから」好きなのである。ただそれだけだ。もう理由をとってつけるのはやめようと思う。