#373 対話と自分語りのハードル【三日坊主とひとりごと】

ここのところ、気になっているふたつのキーワードがある。「ナラティブ」と「アサーティブ」。書籍などで勉強中。なかなか「こういうもの」と定義が難しいのだけど。

この年になって、ようやく気付いたのだけど、私は「自分語り」がとにかく苦手だ。自分のことを説明する。自分の気持ちを整理して伝える。論理的に自分の意見を述べる。

10年以上、クライアントワークに精一杯、邁進してきたこともあり、人の言葉に耳を傾け、質問して回答を引き出し、それを「その人の言葉」として、“翻訳”しつつまとめる……ということは、息を吸って吐くように、当たり前のこととしてできるのだけど。

なぜに自分のこととなると、こんなにも行き詰まってしまうのか。

先日、こんな記事を読んだ。最初から最後まで、一気に読んで、さらになんども繰り返してかみしめた。

ナラティブ・アプローチが主に対象とする「語り」とは、語り得ないことを語ろうとすることに力点が置かれているのです。明確に伝えたい何かを伝達するために語るということではなく、むしろ、「明確化され得ないことを意味づけようとして、なんとか言葉を紡ぎ出そうとする人間の営為の大切さ」に注目してみてください。

人はどうしたってわかりあえない。所詮、他人なのだから。そんな基本的なことがわかっていても、なかなか達観はできない。それもまた人間なのかもしれないけど。

だからもがいて、悩んで、どうしたらもうちょっと、いい方向に走っていけるか考える。

なにか“違和感”があるなら、自分の中でそれがどれくらいの大きさなのか、そっと測ってみる。思ったより些細なことなのか、それとも結構、無視できない大きさなのか。

「偏っていることに価値がある」——その言葉にちょっとだけ勇気をもらって、自分を語り、対話にのぞんでいきたい。