毎年「卒業」があって、なんとなくさびしいような、でもちょっと新しい季節への希望に満ちているような、そんな3月が好きだった。4月のはじめに生まれた私にとっては、いつだって、3月はなんだか生暖かい気持ちになる節目の季節だった。
好きだった——。もう、今ではすっかり過去形になってしまった。
ある年の3月、がんを患っていた母が他界した。その年の桜が咲くのを待たずに。ほんのりあたたかい色味を帯びていたはずの「3月」は、一気に色を失った。
その記憶も生々しく残るままに、東日本大震災を迎えた。遠い地から見ているだけでも信じがたい光景、大きな無力感におそわれて、それまでのほほんと信じてきた価値観が根底からゆさぶられてしまった。
椅子から転がり落ちるように会社員を辞めようと決意したのも、3月だった。決して前向きな独立ではなかった。私は、来る日も来る日も頭上にふりかかってくる仕事に疲れ果てていた。その先に歩むべき道なんて、まったく見えていなかった。
重い気持ちをふりはらいながら仕事に没頭するのに、3月ほど最適な季節はない。
年度末でどのクライアントも慌ただしく動く“魔窟”。私はいつも受けられるだけ仕事を受けて、余計な感傷がわきおこらないよう、心が立ち止まらないよう、仕事のことだけを考える。
今年の3月も相変わらず、仕事に没頭する毎日を送っている。わたしは未だに、あのとき失ってしまった3月の色を取り戻せていない。