(前回からのつづき)
「谷川俊太郎展」の会場は、まさに「言葉の森」だった。いろんな世代の、いろんなひとたちが、思いおもいに展示を眺めていた。
会期中なので詳しくは書かないけれど、言葉や写真、直筆のノート、手紙、その他いろいろな私物。一つひとつが、おさまるべきところにきちんと収まっているように見えた。
はじめのインスタレーションもすばらしかったし、展示の最後、廊下いっぱいに貼り出された谷川さんの年表まで、見ごたえがありすぎた。
谷川さんの詩の「どこがすごいのか」、正直、わたしは今も説明できない。
なんでこんなに心にひびくのか、どうして記憶に残るのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
会場で考えはじめたけれど、わたしは途中で考えるのをやめた。
その言葉が、なにかにふれる。自分自身の中にある何かに。それで十分じゃない。
言葉や文章は、なにかしら“意味あること”を伝える道具。わかりやすく、的確に、親切に、相手のことを思って。
ほんの一歩、使い方をまちがえると人を恐ろしいくらい傷つけ、ものごとが良くない方へ動いてしまうこともある。
そうした生きるうえでのコミュニケーションを、ひょいっと身軽に交わしたところに、つづられた言葉たち。
その存在を、久しぶりに思い出せた気がした。旧友と再会したみたいに、なんだかとても懐かしくなった。
25年ぶりに手にした詩集『どきん』は、34歳のわたしから見ても、まったく色あせていなかった。
『だれかがふりむいた! どきん』
▲谷川俊太郎展@東京オペラシティ
http://www.operacity.jp/ag/exh205/