ときどき、ぐっとひとりの人にフォーカスした取材を終えた後、相手の方から言われることがある。
「こんなに自分のことを話したこと、なかったです。なんか新鮮でした」
それを聞いて、いつも思う。「話す機会」がないというより、たぶん、「質問される機会」が少ないのだ。日常のなかに。
誰だって、自分の話を聞いてほしい。頭の中に眠っていることはたくさんある。
考えていること、言葉にできず悶々としていること、誰かにわかってほしいこと、がんばったこと、イヤだったこと、楽しかったこと。
評価されるとか、他人からどう見られるとか、解決策があるかないかとか、そんなことはぜんぶ抜きにしたところで、「ちょっと聞いてくれる?」という、感情。
それはそれで、確かにある。ただ自分が思うまま好きなように話すことと、相手から何らかの質問を受けてそれに答えるのとでは、心もちがちょっとちがってくるのだと思う。
そんなことを、最近Twitterをにぎわせていたとあるサービスを使ってみて、思った。あらためて。
ジラフが質問箱サービス「Peing-質問箱」を2日で買収、「いくらで買えますか?」の舞台裏とC向けサービスでグローバル展開を目指す理由 https://t.co/B6dNi01JEA
— Peing-質問箱-(公式) (@Peing_net) December 21, 2017
質問を受けるということは、相手にとって、自分がなんらかの興味の対象になっていると知ることでもある。
だから定期的にこうした“質問系”サービスが、でてきては盛り上がりをみせるのだろう。
わたしの専門はもっぱら「質問するほう」なので、正直、質問される側になると途端に戸惑う。自分のことを話すのは、未だに苦手だ。それはそれでどうかと思うけど。