#292 「わかりやすさ」の罠【三日坊主とひとりごと】

ある仮説のもとに問いを立て、
一つひとつ、人にそれを
ぶつけていく。

ポロリ、ポロリとこぼれる言葉を
引き出しては反すうし、

なんだかもやーんとしていたものを
どうにかこうにか、
カタチらしきものに整える。

すごーくざっくりいうと、
そんな感じなのが私の仕事だ。

言語化されてないものを
明確な「言葉」にすること。

人に何かを伝えるには
ものすごくいろんな技術がいる。

技術というより「配慮」という方が
近いのかもしれない。

「伝える側の説明責任」が
あると思っているから、
私はいろんなところで
「できる限りの言語化」をしようとする。

ただし。

「すべての人にとってわかりやすいこと」が、
必ずしもいい状態であるとは限らない。

「わかりやすさ」は、
大きなリスクをはらんでいる。

平坦になる。
没個性。
細部の省略。
広く浅く。
専門性の欠如。

言葉はそんなに簡単じゃないし、
人間はそんなに単純じゃない。

「わかった気になる」
手伝いを、したいわけじゃない。