#334 すばらしく悔しい、ほかの誰かの仕事 【三日坊主とひとりごと】

仕事柄もあるのだけど、ずいぶん長いこと「共感できる手軽な文章」にばかり目を通していて、心をゆさぶられたり、いつの間にかその世界にひきこまれたり、とにかく没頭してしまいハッと我にかえったり、そんな体験をすることが少なくなっていた。

取材時間は1時間です。聞きたりない? うーん延長は難しいですね。執筆期間は1週間です。読者を引き込む書き出しにしてくださいね。あと、Webなんで2,000字くらいにしてもらえませんか。

その繰り返し。だいたいそう。

オーソドックスな「企業が発信する文章」を書こうとすると、どうしてもある程度の型ができてくる。それはそれで大事なことだと思っているけれど、やはりときどき“読み手”としての自分が、心の奥をざわつかせる。

わたしは著名人にインタビューすることはあまりないのだけど、一般企業の方でも、「なんだか前に受けたインタビューがいまいちで……」とか、「意図と違うこと書かれちゃって……」とか、おっしゃることがある。

どんなに名文だとしても、それは反則だと思う。「読者が知りたいから」と言い訳してほしくもない。

だからといって取材相手の方だけに身が傾きすぎてもダメなのが難しい。

取材相手と読者、両方に対して真摯な姿勢が見える。それはとてもすごいことだと思う。

ときどき、「このインタビューすごいなあ」と思える文章に出会うことがあると、うれしさと同時に、ものすごい焦りと悔しさがこみあげる。