「ライターとは、編集者とはかくあるべき」論が、今日もあちこちでくりひろげられている。
わたし自身もいっぱしの「ライター」のつもりでいたので、以前はそうしたSNS投稿(主に苦言)にいちいち反応して、「あっ、それわかってないとダメなのか」「そうか、そういう姿勢が大事なのか」などと、無理やり自分の中で咀嚼しようとしていたこともあった。
しかし、フリーで仕事を続けているうちに図太くなった(?)こともあり、いつからか、そんな「べき論」は完全スルーするようになった。
そもそも、「ライター論」ってなんだよ。書籍のライター、雑誌のライター(しかもどのジャンルかによって相当な違いがある)、ニュース記者、ノンフィクションライター、Web系媒体のライター、PRライター、私みたいな企業広報系のライター……。
どこを主戦場にしているかによって、仕事に対する姿勢はもちろんのこと、業界の慣習なども違えば、共有している大前提の文脈や、求められるスキルなども全く異なる。
そう考えたら、自分にとっての目の前の仕事に対し、礼節を尽くして結果を出す以外に、「あるべき姿」なんてひとつもない気がしたのだ。
最近、出版業界で新たな動きが出ているのを面白く眺めていたところ、それに対する批判が出ているのをたまたま目にした。語られていたのは、「本来、編集者とはこうあるべき」的なことだった。
なんだかうんざりして、そっとTwitterを閉じた。