書く仕事、なんて、才能にあふれたほんの一部の人だけに許された特権だと思っていた。だから自分が「フリーライター」という肩書きで働くことになるなんて、30歳近くなるまで本気で考えたこともなかった。
“名乗ってしまえばライター”というこの世界は実にカオスで、そのレベルも役割もさまざまだ。「書く仕事」がこんなに幅広いなんて知らなかった。
わたしは「書き手」でもあるけれど、一方で「読み手」でもある。むしろ子どものころから活字中毒気味で、いまでも圧倒的に、書くことより読むことの方が好きだ。
許されるなら、ひきこもっていつまでも活字を読んでいたい。
ただ、最近ちょっと「読み手」として思っていることがある。
本はともかく、ウェブ上に転がっているテキストは、かなりの確率で「共感」を目的としていることが多い。
読む。共感する。お気に入り。シェア。いいね。わかるわかる。確かにそうだよね。
気軽な“共感”だけが、お手軽に消費されて、「いいね」を押したそばからものすごいスピードで記憶の彼方に流れ去っていく。
共感が悪いことだとは思わない。
でもわたしは、共感するよりも人の文章に圧倒されたい。心をゆさぶられたい。打ちのめされたい。
言葉なんて、人間にとってただのツールにすぎない。でもその道具を使って、圧倒する作品をつむぐ人の力のすごさに、もっと触れたい。
なんだか最近、そんな作品を渇望する気持ちがますます大きくなっている。
▼ひさしぶりに、圧倒された文章です。
https://note.com/sasakinonoka/n/na6bca8207675