「あたしは 仕事したな——って 思って 死にたい」 (安野モヨコ作『働きマン』,1巻 P30)
なんで活字中毒なのか、どうして書くことが苦じゃないのか、就職するときこの業界を選んだ理由は。
わたし自身をとりまく大体の“Why”には、答えが見つかった。大人になってから、いろいろと「棚卸し」をした結果。
ただどうしてもひとつだけ、自分でもまるで腑に落ちていなかったことがある。
「わたしはなぜ、こんなに仕事人間になったのか」
子どもの頃、周囲にそんな人がいたわけではない。両親はどちらも家庭第一の人だった。
最初に入った会社が忙しかったから? それともなにか特別な使命感に燃えていた? ……それもたぶん違う。あの頃はただ生きるのに必死だっただけだ。
ぼんやりと考えていたとき、ふと彼女のことを思い出した。
この作品が発売された当時(2004年)、わたしはまだ大学生だった。
仕事のなんたるかなんて、微塵も理解できていなかった。もっといえば、週刊誌の記者やジャーナリストの仕事にも全く興味はなかった。
ただわたしの目にひたすらまぶしく映ったのは、「自分の仕事」とがっつりタイマン勝負している松方弘子の姿だった。
あのとき、わたしはたぶん、彼女の生き方を心底「うらやましい」と思ったのだ。
2017年の年末、十数年ぶりに、わたしは『働きマン』のページを開いた。彼女はそこで、相変わらず不器用な真剣勝負を繰り返していた。納豆巻き食べながら。
「あたしは 仕事したな——って 思って 死にたい」。
やっぱりわたしも、そんな最期がいい。