#306 底なし沼の記憶【三日坊主とひとりごと】

今年もよく働いた。よく取材して、よく書いた。でも今年はけっこう、こころ残りなこともあって、来年早々に(というより今から)巻き返さないと、と思っているところだ。

振り返りと反省は休みになってからじっくりやるとして、年内最後の納品記事は、こちら。

どんなに仕事が大好きな人でも、どんなに「好き」や「楽しい」を仕事にしている人でも、きっとしんどい夜はあると思う。

なんでこんなにうまくいかないことが続くんだろう。なんで私ばっかりこんな目にあうんだろう。

憤りを感じられるならまだいいのかもしれない。

ただただ辛くて、どうしていいかわからなくて、目の前に広がる淀んだ水面を、呆然と眺めるしかできないことだってある。長い人生、誰しも、きっとそんな時期を何度か経験するだろう。

今からもう7、8年前になるだろうか。かつてわたし自身が、底なし沼に足をとられかけてもがいていた頃。

疲労困憊して会社から帰宅した後、毎日のように繰り返し見ていた小林賢太郎氏のDVDがあるのだけど、そこで氏が語るひとつの言葉が、当時のわたしを支えていた。

「0から1は作れなくても、必死になってやれば0.1くらいは作れる。それを10回くりかえせばいい」

0.1もおぼつかなくて、0.01かもしれないし、0.001かもしれないけど、もがいてみたらきっとほんの少しは、先に進んでいる。

“淀んだ底なし沼”は、いつの間にか、はるか後方に見えなくなっていた。