母が亡くなったのは、3月のことだった。
あれからもう、6年がたつ。
その年の桜が咲くのを
待つことなく、
母は逝ってしまった。
葬儀を終えて、
なんだかよくわからない
フワフワした気持ちのまま
私は東京に戻ってきて
いつの間にか、また日常がはじまった。
正直、当時自分が何を考えてすごしていたのか
あまり思い出せないのだけど
その年の5月が、
まるで拷問のようだったこと。
それだけは、未だに忘れられない。
街中にあふれる
「お母さん、ありがとう」
という言葉
胸の奥をえぐるような
真っ赤な色のカーネーション。
それは25年も生きてきて、
はじめて知った「痛み」だった。
私は、完全にとじた殻のようになって
その1か月、街の気配をやりすごしていた。
今では、穏やかな気持ちで
この日を迎えられるようになったけれど。
毎年、店頭にカーネーションの花が
顔を出しはじめると
この喧噪のどこかで、
いつかの私と
同じ思いをしている誰かに
そっと、思いを馳せる。