「忙しい」というのは、便利なことばだと思う。
「忙しいから、仕方ない」
あらゆる場面で、いいわけに使えてしまう。
とりわけ、自分自身に対して。
「今忙しいから、お受けできません」
(こんな直接的な言い方はしないけれど)
仕事でも、物理的なキャパシティはどうしてもある。
だから、決して相手には非がないということを、
言外にそっと、ひそませる。
「最近忙しそうですね?」
ここのところ、誰かに会うたびにそう言われる。
そのことばに、なんだか心がざわついてしまうことがある。
私はそんなに、疲れた顔をしていただろうか?
そんなに、余裕がないように見えたのだろうか?
わかっている。
それは、ただの“便利”な社交辞令でしかない。
しかし、たとえ「よっ、元気?」くらいの
ニュアンスしかなかったとしても、
その「忙しい」という魔の呪文の正体を、
自分のなかで、つい探したくなってしまう。
誰かが「心を亡くす」とかいうから、いけないんだよ。