#710 たとえば、わたしが死んだら【三日坊主とひとりごと】

昨年からはじめたメルマガの、1本目のタイトルを、なんとなく「わたしは鍵付き日記が書けない」とした。

その名の通りで、わたしは鍵付き日記が書けない。「鍵付き日記」とは、自分の手帳とかに手書きで書いて、誰にも見せずに記録を残していくようなものをイメージしてほしい。生まれてからこの方、続いたためしがない。

まれに、絶対に誰にも見せたくない感情的な言葉や、ネガティブな思考があふれて仕方ないときは、そのへんの紙に気持ちを吐露してさっさとぐしゃぐしゃに丸めて捨てるか、一定の時間がたつとデータが消えるアプリにどわーっと吐き出すか、とりあえずどちらかの対処をしている。

どうやらわたしは、自分の痕跡を残すことをあまり好ましく思っていないようだ。感情のままにつづった文章を、自分が死んだあとに発見されて、他人にぜったい読まれたくない。

だからなのか、何年か前、美空ひばりさんの歌声がAIで再現されたというニュースが流れたときなんか、心底ぞっとした。たとえ他の人のことでも嫌悪感がすごい。本当にやめてほしい。

それなのにこうやってインターネットで文章をつづるのは、「誰かには読まれている」という緊張感があったほうがいいと思っているからだ。自分が生きてるうちはそれでいい。

でもわたしが死んだら、自動的にサーバーの契約が切れてデータも全部消えてくれる。それが、インターネットの広大な海に思考を放流し続けている最大の理由。