5冊目:言葉のズレと共感幻想
今読めてよかった。言葉のズレ、認識のズレについての議論がとても参考になった。
- 第一章:「言葉」という砂上の楼閣
- 言葉は抽象化の産物であり、人によって定義が異なる。それがコミュニケーションギャップを生む一要因になっている
- 同じ会社、家族、日常的に関係性がある相手だと、相手も自分も、言葉の定義は同じで会話は成立している、と思い込みがち
- 「ダブリング」を試すと、自分の抽象概念が他者とどのくらいズレているかを意識するようになる
- ダブリングは、トラブルを起こさずに認識のズレや目指している目標の違いを浮き彫りにしてくれる
- 言葉への過信
- 言葉は人間最強のツールであり、かつ最大の弱点。抽象化の話をしていると結局は言葉にいきつく。すべてのコミュニケーションギャップも言葉から生まれる。人が言葉を過信しているから、それは当然の結果かもしれない
- 言葉は、実際に起きている現象を何らかの形で抜き出したもの。その抜き出す過程で、人が自分の都合のいいように抽象化している。抽象化の仕方はまさに千差万別なので、同じ言葉でも人によって解釈の仕方が変わってしまう
- 一つの言葉に対して、定義が違ったり、長期的に考えるか短期的に考えるかが違ったり、どこを軸にして何を引っ張り出すかが人によって違っている。だれもが無意識にやっているが、それを可視化できると、コミュニケーションの仕組みがうまく説明できたり、コミュニケーションギャップの解消ができたりするのではないか
参考)
https://www.doubring-j.com/
https://note.com/isaohosoya/n/n5c8c4cecb308
例)
「自然」と「人間」の場合:日本では、大きな自然の中に小さな人間がいると捉える人が多くて、韓国や台湾など東アジアの人たちもわりと日本に似ている。キリスト教国では、人間は自然の中で特別な存在だという発想が強く、自然の中に人間がいる、という発想の人は1割もいない
→ だから、日本人が考える「自然保護」と、欧米系の人が考えるそれとではまったく意味が異なるはず。価値観が異なる中で議論しても、噛み合わなくて当然