わたしは、さまざまな記録を残すことがとても重要だと思っていて(歴史的な資料としてとか)すごく興味があるのに、自分自身の記録を残すことにはまるで頓着がない。というか、むしろ残したくない。死んだ後にどうでもいい日記とか読みつがれたくない。
もともと紙の手帳をあまり使っておらず、手元で日記をつける習慣もないのだけど、ここ数年のあいだに、自分の持ちものを整理していく過程のなかで、自分が記した記録的なものはほとんど処分してしまった。
自分に子どもがいたら、また違ったのかもしれない。
両親が亡くなった後、自宅の整理をしてくれていた妹が、母がつけていた育児日記(三姉妹分)を掘り起こしてきた。40年のときを経てはじめて対面するその記録は、わたしたちにさまざまな感情をもたらしてくれた。母の字はなつかしかった。
でもわたしの場合は? 記録してどうしたい? 誰かに読んでほしい? むしろ読まれたくない?
わたしにとって、自分について「書く」ことはあくまでも感情や情報の整理をするための作業であって、何かを記録したいためではないんだなと、最近とくに思う。「生きた証を残したい」みたいな感情が、まあかなり薄い。
だからWeb(用意にデータを消すことができる)に文章を書き散らして、過去の手帳も基本的には残さない。どうしてもあふれ出てしまう負の感情は、レポート用紙になぐり書きしてそのままくしゃくしゃに丸めてゴミ箱行きなのだ。