#613 学ぶ意味【三日坊主とひとりごと】

いろいろあってちょっと疲れている。ここ1年くらい、仕事以外のところではトラブルも何もなかったことがどれだけありがたかったか、思い知っている。うつ気味になったとき、じっとひとり引きこもっていられたことに感謝すべきなのかもしれない。おかげでずいぶん、生活力を取り戻している。

わたしは一度、歴史を学ぶことに絶望した経験がある。10代の頃に抱いた純粋で幼い興味は、そんな一筋縄ではいかない覚悟がいる世界を前にして、粉々に打ち砕かれた。

——なんてカッコつけて書くほどのことはない。どんなに今生きている人たちが研究を重ねたところで、真実は永久にわからず、不毛な堂々巡りと重箱の隅を突くような戦いが続いていくことしかイメージできなくてうんざりしてしまっただけだ。

そのとき「研究」の道に進む選択は早々に捨てたのだけれど、歴史を学ぶこと自体に「意味がない」と思ったわけではない。むしろそれは今でも、ものすごく大事なことだと思っている。

いま、世界中で起きているいろいろな事象について、ほんのちょっとだけ俯瞰したところから眺められる気がするのは、たぶん、歴史から何を学ぶのか、ほんの一時期でも考えたことがあるおかげなのだろう。たとえ、断片的な知識をかじっている程度であっても。

ここ最近、仕事のことをいろいろと片付けて次のことを考えているなかで、不思議と当時のことがまた脳裏に浮かぶ。もう少し回復したら、また勉強したい。