人によって回復の方法はいろいろあると思うけれど、わたしの場合、目の前にある仕事——新しい取り組みではなく、どちらかというと慣れた作業、苦がなくできること——が自分自身の気持ちをどうにかつなぎとめる糸になっていることが多い。
これまでを振り返ってみても、結局そんなことを繰り返してばかりいて、やむを得ず日々こなしていることが、意外と心の平穏を保つための大切な要素になっていたりするから不思議だ。
それを繰り返し続けているからこそ、いい意味であきらめもつきはじめた。結局、自分の性格は変えられないし、役割に応じて何かを演じ続けるような器用さも根性も、わたしには全然ない。
心の平穏を保ったまま、「できること」を増やそうとするには、やめることを決めなければいけない。どう引き算して、絞った数をもとにした掛け算をどこで仕掛けるのか。最近はそれを考えてばかりいる。
それにしても引き算の手際が悪すぎて、なかなか一筋縄ではいかない。引き算しきれなくてあふれているものたちとひとつずつ向き合って、ほんのちょっとずつ荷物を下ろすようなことをぽつりぽつりとやっているのが今。
ただ不思議なことに、この状況になって、なんだかすごくなつかしい感覚を取り戻している。環境が変わり過ぎてすっかり忘れていたけれど、そういえばわたしは10代の頃からそうやって生きてきたのだった。
人の本質というものは、そう簡単に変わらないのかもしれない。