#520 4月29日の日記 【三日坊主とひとりごと】

どうにか、連休前に終わらせたかった仕事の途中で力尽き、窓からさす太陽の光で目が覚めた。

枕もとにiPhoneがない。いま何時だろう? 頭が重い。

窓を開けて、揺れるレースのカーテンをぼんやり見ながら二度寝する。スマートフォンは、充電器につながれたままベッドの脇に落ちていた。AM9:30。

身体も、とても重い。朝から部屋中を掃除して、洗濯して、優雅にブランチでも食べようと思っていたのに、一歩も動けなかった。

平日は仕事で無意識に気を張りすぎているのか、年末年始など長期休暇になると、どっと疲れが表に出てくる。

いいのか悪いのか、よくわからない体質。(だから外出自粛要請がなくても、休日はだいたい引きこもっている)

わたしにはめずらしく、しばらくの間、活字を読む気力がなくなっていて、書くペースもかなり落ちている。

こういうときは、結末も展開もだいたい似ている、一話完結のミステリードラマを流し見するに限る。たぶん、感情的に空っぽになる時間が必要なターンだ。

ただ最近、ひとつ発見したことがある。「日記なら読めるし、書ける」。

多和田葉子さんの『言葉と歩く日記』、牟田都子さんの『校正者の日記』を、ぽつり、ぽつりとゆっくり読む。

自分のことも、ただの日記でいいならもう少し気楽に書けそうだ。

人の思考は、しごく断片的なもの。まとまるまで待つのではなく、すこしずつでも言葉に置き換える。つむいだ文章が、安定剤になることもある。