先日、『天空の城ラピュタ』をみた。
TVのロードショーではない。DVDでもない。
映画館で、あの大きなスクリーンで、生ラピュタを観ることができたのである。
【最終日】#調布シネフェス 2020特別上映「天空の城ラピュタ」残すところ明日のみとなりました。寂しい。①13:00~②15:50~の回は7番スクリーン、③20:30~の回は当館最大10番スクリーンULTIRAでの上映。今夜0:15よりチケット販売再開!どの回も残席は半分くらい。お早めに!https://t.co/c4aFArK1FF pic.twitter.com/2UBeEyCP51
— イオンシネマ シアタス調布 (@ac_chofu) March 7, 2020
わたしは、宮崎駿監督のファンというか、信者だ。
わたしが生まれたのは1983年。『風の谷のナウシカ』が封切られたのはその翌年。
ものごころついてからではあるけれど、初期作品はどれもVHSがすり切れるくらい、繰り返し何度も見てきた。
ストーリーはもちろん、映像も、台詞も、音楽も、だいたい頭に入っている。
それなのに。
もう、十分すぎるくらい、馴染みある作品のはずだったのに。
でも、ちがった。
はじめて映画館で観た『天空の城ラピュタ』は、わたしが知っていた作品ではなかった。
上映がはじまってからエンドロールが終わるまで、1秒たりとも、スクリーンから目が離せなかった。上映後、客席から自然と沸き起こった拍手で、我に返った。
124分のあいだに、何度も鳥肌がたった瞬間があった。
画面の奥に、どこまでも続いているかのような雲や空の描写。どこの国でもない、不思議な街の風景。
久石譲さんの音楽と、緊迫感が最高潮に達したときの静寂。象徴的に描かれた、ラピュタの美しさと残酷さ。
「映画は、映画館で観るために作られているんです」
上映前に行われた、支配人さんのあいさつ。そのひとことに、すべてが込められていたと思う。
30年前の作品を、いま、スクリーンで観られたことに心から感謝。