いまでも憧れ、尊敬している職業がある。社会派ノンフィクションを世に送り出す、ルポライターやジャーナリスト、報道記者の人たち。
中学生・高校生の頃、さまざまな社会問題について考えるきっかけを与えてくれたのは、学校の授業ではなく数々のノンフィクション作品だった。
ルポを読み、ドキュメンタリーを見ては、自分のふれている半径数メートルの世界が、いかに狭いのかを知った。今もそうだ。
なかでもすごい人だな、と思っていたルポライターのひとりが、鈴木大介さんだった。
はじめて著書を読んだとき、こんなに骨太なノンフィクションを書く方がいるのかと、深い感銘を受けた。
だから、鈴木さんが脳梗塞で倒れたというニュースにふれたとき、本当にショックだったのだ。
わたしは鈴木さんの知りあいでも何でもない。でも一応、わたしも「ものを書く」ことを唯一のよりどころだと思っている、書き手のはしくれではあった。
その機能が、自分の身体から、人生から奪われてしまうことの意味。もし自分に起きたら、と重ねずにはいられなかった。
なにより、これだけの綿密な取材と対話を重ねた渾身のルポルタージュを書く人の身に、それが降りかかってしまったことの無情さを受け止められなかった。
だから、しばらくたってから発売された闘病記も、まだ読めていなかった。このインタビューを読むのも、ちょっと勇気がいった。
読めて、よかったと思う。まだ、うまく言葉にはできないけれど。