とにかく口下手な子どもだった。周りはどう思ってたか知らないけれど、大勢の輪の中で会話するのとか、その日あったことを親に話すとか、もやもやと抱えている気持ちをちゃんとその場で適切に伝えるとか、本当に苦手だった。
「なんでみんな、その場でそんなにポンポン言葉が出てくるんだろう?」と、いつも首をかしげていた。気の利いたセリフでパッとその場を盛り上げる人、おもしろい切り返しができる人をみては、自分と比べてひそかにため息をついていた。
だから、わたしのエネルギーは「書く」方に向かったのかもしれないと思う。
「書く」ときは、会話とちがって時間があった。反射神経のにぶいわたしでも、十分に考えてから、自分の気持ちにちょうどいい言葉を当てはめることができた。
「書く」ようになってからも、相変わらず……というか、今でも会話は苦手だ。何かを問われたとき、その場で論理を整理し、的確な言葉づかいで相手に伝えることができない。
家に帰ってから、とっさに自分の口から出てしまった言葉と相手の表情を反芻しては「きっと誤解されたなぁ」とか、「ああなんであんなこと言っちゃったんだろう」とか、うじうじと悩む。
そもそも、言葉はものすごく注意して使わないと、相手に「伝わらない」道具である。
伝わらないどころか、平気で人を傷つけたり、その傷をえぐったりする。
その“道具”の繊細な性質を知っているから、「書く」仕事ができているのかもしれない。