ちょっとしんどかった1週間だったけど、なんだか、心の中で静かに泣きそうになったことがふたつあった。いい意味で。
いま迷っていること、もやもやと心の中をただよっていることを、口に出して話して、それを久しぶりにそのまま受け止めてもらえたこと。
雑に共感されるでもなく、無関心にさらされるでもなく、へんに諭されたり上段からアドバイスされるでもなく。
それは簡単なようでいて、けっこう得難いことである。
自分語りがものすごく苦手なうえに、人に説明するには、ちょっとだけ複雑な仕事をしていると、なおさらだ。
自分が思っている以上に、癒されるものなんだなぁとしみじみ。
もうひとつは、ついさっきだけど、この記事を読めたこと。
「個人」として認識されるために必要なのが、「イノベーティブなアイデア」だとか「自分の好きなことを仕事にしてる経歴」だとか、「圧倒的な行動力」とか「個性」なら、それってただの、「誰かが必死に叶えたワガママ」だ。
個の時代を生きる人に捧ぐ「自分のワガママにきちんと付き合う」人生のススメ<いま気になること>自撮り女子・りょかち−幻冬舎plus http://www.gentosha.jp/articles/-/10308
ちょうど、「野心をもつこと」「ワガママに生きること」について、話した帰りだった。
クライアントワークで10年以上、誰かの仕事を第三者的に“手伝う”ことに慣れきってしまったわたしは、なんだか「自分のために時間を使う」感覚がよくわからなくなっている。
でもいま、わたしがある程度「ワガママ」な働き方をしても生きていけるのは、これまでの自分が必死になってもがいてきたから。
それを肯定してもらえたような……というか、自分でもっと肯定してもいいのか、そうかそうか、そうだよね、と思ったら、なんだかじわりときた。
それを不満に思ったことなんか一度もないのに。
自分の感情なんて、自分が一番よくわかってないのかもしれない。